昭和57年11月宮古市へ転勤前の記念写真。

幸衡(ゆきひら)7才・湖治子(みちこ)5才・晴子(はるこ)2才。

このころはお庸(よう)母さんにもまだウェストがあった。マリリンモンロウに似たいい女だったのだが…

ちなみにオレは田子のジャッキーと呼ばれていた

どういう訳か公務員なのに、オレはヤンキーやヤクザ?な人間の友が多かった。

重茂半島の最東端、姉吉の公園にて。

海の幸山の幸の多いところ。「喜びも悲しみも幾歳月」の舞台になったトドガ崎灯台は歩いて70分。

海釣りのメッカ、大物をよく釣った。家族はこのころから大きく変身するのだ。

平成2年3女のゆうみが誕生。

ログハウスを建てる。部材はカラマツやダケカンバ、トチノキなど普通は使わないもの。

木は使い方でどんなにもなるのを日本人は忘れているから。

平成17年3月ゆうみ中学校を卒業。

久慈高等学校への入学も決まる。

子供は喜び、親は準備金に泣く。

遠くにいってる親戚のために。

写真は平成元年頃と少し古いがこれしかない。

奥中心メガネが生前の親父、右隣がワカ。

向かって右手前がオレの弟文公、左手前が亡くなった叔父のけんオジサン、音楽ディレクターゆきの父。左奥がKあきお、ゆきの夫。

右が妹のちずこ、かずみ(教夫婦。

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