会報木霊の駅

〜 木霊のお告げで発行 2000.11第 6 号 〜

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泉田之也さんグランプリ

会員からの便り。北見のimoおばさま岩井芳枝

アユは天然がエー。副会長 松尾 とおる

この夏はなんかヘンだった! 虫の後藤純子

ホタテガイ養殖の歴史。 海の 内田 明

森は尽きないエネルギー。晩酌中野

屋久島の沢登り。にはまった冬子

吉川進の山菜ノンべ教室

世界の天候、森を増やそう 

NEWS

会員の泉田之也さんが朝日陶芸展で「グランプリ」受賞!

六回の出展で初めて。全国からの出品作六七九点のうち、入選八六点、入賞一〇点の最高に輝いた。

題名" こ "(実物は見てからのお楽しみに)。野田村日形井の工房で夫婦で作品に取り組んでいる。

「私も今度トックリをつくってもらおう。・・・中野発」

 入選作品の展示は全国を回って、来年でなければ帰って来ないそうです。

 〜新入会員紹介〜

葛巻 祐二 (Yuji Kuzumaki) さん

昭和14年生まれ 気象予報士

〒028-0091岩手県久慈市大川目町6-125-2

TEL/FAX 0194-55-3733

ハム:JM7TOE

E-mail: kuzumaki@oregano.ocn.ne.jp

ホームページ作成中!

「社会に一言」

人類は自然界で発生し得ないものを作り出したときから、その最終処理を考えるべきだった。

科学の進歩は人類にゆとりを与えて幸福にならなければならない。便利になった分更に仕事をするのでは無く、教養と趣味の時間を増やすべき。


会員からのお便り

2000年8月22日

北見のいもおばさんより

 北海道の夏はさわやかで熱帯夜とは無縁だったはずなのに、昨年と今年は本州なみの36〜7度を記録し、クーラーが設置されていない事務所では卒倒寸前の昼を過ごし、夜は防犯を考えてなどいられない開放状態で寝る毎日。

 北見地方では、この暑さで、吸血昆虫が大発生。

 カ、ブユ、マダニ、アブが森林を歩くと付いてくる。カ、ブユは虫よけ薬や蚊取線香でどうにかなっても、マダニは服や頭毛にしっかりと付いてくる。北海道ではムカデやヒルの被害は聞かないが、このマダニに食い付かれた人は多い。

 シュルツェマダニはササやフキについていて、移動する動物に飛び移り、人間には時間をかけて皮膚に食い付き、ゆっくり血を吸い、2ミリの薄い体があずき大までふくらむ。無理に引き抜くと、頭と口が皮膚内に残ってしまい、結局病院で切開となる。タバコの火を当て、ゆるんだところを取るのが良いようだ。

 昨年、私のおしりにかみ付いた「ヤツ」は短命だった。フッフッフッ!!

 スズメバチも大発生。夜のNHKテレビニュースに我が家が写り、アレッと思う間もなく隣家のスズメバチの巣を専門業者が除去する様子が放送された。昼間のうちに撮影されたらしい。翌朝、巣を失ったハチが数十匹飛び回っていた。

 緑のじゅうたんのような北海道の森林地帯は、写真では美しくしか見えないが、中で仕事をする者にとっては季節ごとの注意が必要な場所である。

『アユ天然・養殖・半天然』

週末二戸市 松尾 亨

 初夏の風物詩の「鮎」について、少々季節外れになってきましたが、最近の鮎事情について紹介します。

 何といっても書いている私が「あゆキチ」で友釣りにはまって約10年、ドキドキワクワクの夏を楽しんでいます。

 さて、みなさんが普段食べている鮎は、天然・養殖・それとも…半天然のどれでしょう?

・天然 − 昔からその河川に生息していた鮎が、自然に繁殖を繰り返しているもの。(秋田県米代川水系など)

・養殖 − 採卵−育成−出荷までを養魚場で管理され育ったもの。(おもにスーパーを中心に各家庭へ)

・半天然− 幼魚の時期まで(5〜10cm)養魚場で育ち、その後河川に放流される。(岩手県内の河川に多く馬渕川・気仙川など)

 以上の3タイプに分けて考えると、日本海側に天然タイプ、太平洋側に半天然タイプが多いようです。これは、漁協の管理(やな等で一網打尽の乱獲)や遡上するためのダム・堰堤への魚道の設置等が考えられます。しかし、植物性のコケを主食にしている鮎は、夏に温暖で多雨な

日本海側の気候に適しているのかも・・・。

 天然・養殖での違いは、釣ってみて「背びれ」の大きさが全然違います。天然物は長く大きいので急流での遊泳力も強く、掛かった瞬間の「ズドーン」という引きは養殖放流物と比べ物になりません。また、胸の黄色いマークも濃くきれいなのが天然です。

 友釣りは、鮎のナワバリを持つ習性を利用する釣り方で、良質のコケの付き場所を争いケンカが始まります。しかし、小さい頃からイケスで育った放流鮎は、群で育った時期が長いのでナワバリ意識が少ないのか、オトリ鮎を近づけても直ぐ「ケンカ」しないので、ジラシ作戦や仲良し作戦をつかいます。一方天然は、自分のテリトリーに敵が侵入するなり、一発体当たりで来るケースが多いので広範囲に泳がせます。こう言うと天然物が単純で簡単に釣られてしまいそうですが、鮎にも「ワセ・オクテ」がありナワバリ意識の目覚める時期の違いや、仲良し群鮎で産卵まで過ごすなどいろいろなタイプの遺伝子構造があるのか、上手く出来ているようです。

 一年魚の「鮎」、あと残り少ない命を、来年の子供たちのために頑張ってくれ。

(私の楽しみのためにも)


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吉川進 山菜のんべ教室

ミズ(ウワバミソウ)の水もの

素材・・・ミズ

味付け材料・・・コンブ

〈調理法〉ミズは生のまま皮をむき、お湯でさっとゆで、水で冷ます。コンブをきざみ、塩やや多めの水中に入れたものであえる。 ミズを緑濃くするためには、ミズを冷ました状態で冷凍庫で4〜5分冷ます。酒の肴には絶好調!

クルミ酒

利用部位・・オニグルミの実

〈作り方〉果実を容器に入れ、3倍のホワイトリカーを加えて密封する。2ヶ月で中身を取り出し、3ヶ月で熟成。

〈効用〉琥珀色か黒色に近い酒に仕上がる。滋養強壮、疲労回復に役立つ。

この夏はなんかヘンだった!

アメリカシロヒトリ

(虫のことなら)後藤純子

 この夏、盛岡市内の街路樹や道端の木々から緑が消えました。たくさんの毛虫が、緑の葉を食い尽くしてしまったのです。犯人は、アメリカシロヒトリという蛾の幼虫です。この蛾は名前のとおり、日本原産ではありません。終戦直後の昭和20年頃、アメリカ兵の物資に紛れて侵入したと言われています。

 この蛾の幼虫は、実に多種多様の木々の葉を食べます。日本の街路樹に多いプラタナスやサクラなどは、恰好の餌になりました。そのうえ、新天地の日本には天敵がいません。アメリカシロヒトリは、東京などの大都市を中心に、たちまち猛威をふるいました。

 しかし、さしものアメリカシロヒトリも、ここ20年ほどはたいして問題にならなくなりました。日本の鳥たちがこの虫の味を覚えたのでしょうか、天敵による抑制効果がバランスよくはたらいてきたのです。

 今回の大発生については、この夏の猛暑が原因とも言われていますが、私は天敵の減少も背後にあるのでは、と心配しています。現に、この虫は人里離れた森林ではほとんど見かけません。自然豊かな森では、鳥やハチなどの天敵も多いのです。

アメリカシロヒトリは、年に2回、新緑の時期と真夏に出現します。幼虫は、小さいうちは、枝に白い網をはって集団で過ごします。この時期を逃さず、枝ごと幼虫の集団をとって焼き捨てるのが、最も効果的な防除方法です。大きくなって葉を食い尽くし、分散を始めた毛虫にあわてて殺虫剤をかけても、効果はあまり期待できません。

 なお、この毛虫は無毒なので、触ってもかぶれたりすることはありませんからご安心を。


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世界の天候(2000年7月)

中国・モンゴル・日本…高温、少雨。特に中国北東部、朝鮮半島北部で干ばつ、熱波。(昨年は1億人以上が水害に…中国)

インド…東部は少雨、西部多雨、モンスーンの大雨60人死亡、1万戸住居倒壊。

ヨーロッパ南東部…中部低温、多雨。北西・南東部高温、少雨、熱波や森林火災。

中東…高温、少雨、各地で熱波や干ばつ。

アフガニスタンでは1200万人が干ばつの影響受けた。

南米中部…異常低温。アルゼンチン、ブラジルで寒波により合せて70人以上の死者。

 日本も含め異常気象と言ってよい。(昨年エルニーニョが強かった。)山形や周辺の松茸も今年はまるでダメ。気温が高く雨も降るべきとき降らない。南極のオゾンホールも過去最大級に広がっている。強烈な紫外線は南極のオキアミを減らしているそうだ。それは食物連鎖で大型の魚類や獣にも及ぶ…いずれ。

森を増やそう世界に!

森は尽きないエネルギー 

私が営林署(森林管理署)に入ったのは昭和四〇年(一九六五)、当時はどこに行ってもスンゲー森だらけ、白神山なんてもんじゃなかった。雪深い山奥の飯場に一週間泊まり、里に帰って来ると、女性が全部キレイに見える。 男料理のウサギ汁、ショウチューは今の私の酒肴を決定づけた。

 太さ1.5mはあるだろうイタヤカエデの森はもうお目にかかれない。雨降りのカジカすくい、イワナつき、熊・ムササビ・穴熊・タヌキなど、マタギからのごちそうは今も忘れがたい。森のエネルギーは木だけではない。  MN

※クズの実とってますかー。霜の降る頃(葉が落ちた後)が見つけやすい。実のなっているものも無いのもあるはず。


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ホタテガイ養殖の歴史

内 田  明  

 私が初めてホタテガイを食べたのは、北海道豊富町のサロベツ原野で野宿した時。大学時代のことだった。魚屋で買って焼いて食べた。その後、福島県で働いていた頃、小型底引き網船が原釜港に揚げたホタテをもらって食べた。いずれも、大きくて立派な天然ホタテだった。

 昭和51年秋、私は友人の紹介で山田町水産種苗センターの職員となり、ホタテガイの養殖漁業にも係わるようになった。

 その頃のホタテ養殖は大変だった。昭和47年のこと、全国に先駆けて山田湾で養殖ホタテの大量へい死が始まり、沿岸各湾に拡大したのだ。

 友人は水産試験場の研究者として、原因究明と対策に携わる中心的存在だった。彼の研究現場が山田湾、その基地が水産種苗センターというわけで、私も彼を手伝い、私自身も多くの経験を積むことができたのだった。

 へい死の原因説はいろいろだった。ワレカラと言う小さな節足動物説、振動説、密殖説など。細菌感染は二次的なものであるとして、病気説は早くから棄却されていた。

 病態は、貝殻にV字型の欠刻ができ、殻内面が黒褐色に着色する。その後欠刻部が成長せず、全体が変形して死に至る。そういう変形貝が早期に高率に出る群は、もはや養殖を継続しても、とても採算は見込めないのだ。

 へい死は、山田湾から三陸の各湾に拡大し、昭和50年には陸奥湾に、52年には噴火湾にと広がり、大変な事態に発展した。

 当然のこと、北海道・青森県・岩手県・水産庁が共同で原因究明に乗り出した。そして、少なく飼えば死なないという一つの事実から、稚貝段階からの過密養殖が原因という結論が導き出された。

 ところで、この結論に異を唱える人がいなかった訳ではない。曰く、以前はこの程度の密度で死ぬことはなかった。親と卵に何か異変が起こり、弱体化していると。

 ビギナーズラックと言う英語があるが、水産養殖の世界にもこれがよく当てはまる。新しい養殖漁業も数年は順調だが、その後必ず病気に悩まされる。それを克服すると、次は過剰生産から魚価安に苦しめられる。ホタテ養殖もその例外ではなかった。

 さて、ここでホタテ養殖のあらましを記しておこう。

 ホタテガイは満1才の時は皆雄で、2才になると半分が性転換して雌雄異体になる。もっとも、養殖ホタテは満1才までに性転換してしまうらしい。軟体部の角のような部分の赤いのが卵巣、白いのが精巣である。ごく希に雌雄同体がいて、それは赤と白が斑である。そして春、水温が8℃くらいになると産卵する。ふ化した幼生は、約1ヶ月間海中を浮遊して生活し、海流にのって広く移動分散する。岩手県では、5月の連休前後が付着期になる。300ミクロン弱の大きさになると、足から糸を出して物に付着する。この時、網などを海中に下げておくと、ホタテガイの稚貝が採苗できるのだ。お盆過ぎに網から取り出し、籠に収容する。そして翌春耳吊りし、1年後に収穫するのである。

 山田湾は狭いから、採苗しないでよそから種苗を買ってくることになっている。青森県、北海道、岩手県北方面へと、漁協の人は血眼になって良い種苗を探し回った。そして、秋に野田産稚貝を買い、翌春陸奥湾産越冬貝を買う方法で、ようやく安定生産が可能となった。

 へい死が先駆けて始まった不名誉な山田湾が安定してくれば、よそはもっと安定してくる。岩手県南部海域や、宮城県が生産量を伸ばす。北海道オホーツク海沿岸の漁協は、稚貝を放流して大量に生産する。日本からの輸出は減り、逆に中国から輸入ホタテが入る。日本のホタテ供給量が50万トンを超え、値が暴落する。そんな中、種苗を買わなければ養殖できない山田湾のホタテ養殖は、もはやどこにも太刀打ちできなくなってしまった。

 山田湾では、ホタテ養殖に見切りを付ける漁家が増えた。カキ養殖に未来を託し、良いカキをつくろうと励む漁家も多い。

 30年余の波乱のホタテガイ養殖の歴史を振り返ると、へい死対策で奔走し、30代で早世したかの友人や自分の人生が重なり、長い旅がやっと終る時のような重い疲労感に包まれるのである。


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『編集後記』(が何故か長い)

屋久島でハマッタ沢登り

 盛岡の川村冬子です。今号から編集を仰せつかりました。今年4月に長男が生まれた新米ママです。夫・晃寛は土木コンサルタント会社で地質調査と設計をやっています。

 自己紹介にもありますが、私らは夫婦で山が好きです。こうなると週末ごとのレジャーは当然山に入ることになり、息子の「おでかけ」はいつも林道をガタガタ揺られるドライブということになります。ちなみに息子の名は「岳(たかし)」といいます。某人気作家の息子さんの名も同じ漢字で、「いかにも」という感じがするのがどうもなーと思ったのですが、これしかつけようがありませんでした。

 結婚して盛岡へ来てからはさっぱりですが、東京にいた独身時代には(現)夫と沢登りによく行ってました。(註1:私の実家は東京、盛岡は夫の郷里です。)

これまでに登った沢の最高峰はと言えば(註2:一番高い山ってことじゃなく、一番スゴかった良かったとこ)、屋久島の小楊子川です。これは私が初めて本格的に遡行した沢でもあります。

そもそも話題の縄文杉を見たいと思っていた私に、沢登りによる山行をもちかけたのは夫でした。屋久島は「洋上アルプス」と言われ、山は深く険しく遡行にはザイルも必要だというので、準備としてプロのアルパイン・ガイドにロッククライミングの1日講習を受けました。パーティーは私ら2人に友人の男2人。講習を終えたガイドさんいわく、「自分がこのパーティーのガイドを依頼されたら、はっきり言って断ります」。しょうがないじゃん、初めてだったんだから・・・。

 小楊子川は、屋久島に特徴的な花崗岩の巨岩帯が広く明るい谷間をつくり、ときに傾斜のゆるい場所では箱庭のような風景が出現します。ほかに人の気配もなく周囲は深いスギの森。源頭は広大なシャクナゲのブッシュ。青い空にぼっかりと巨岩をいただく山頂が見える・・・。と、まあ夢のような山でありました。

 その後、秩父や上越の沢をいくつか登って私はすっかりその気になり、「沢登りが好き」と言っているのです。

何がいいって、水ん中を歩くわけだから、飲料水を持って歩かなくていいわけです。そして良い子の登山者なら本来絶対山でやらない「焚き火」も、川原でなら、そして流木を燃やすのなら、許される(という業界の空気がある)わけです。楽しいですよお、焚き火やってお酒飲むのは。今度やりましょう。

 東北では八幡平秋田県側の玉川の支流・湯田又沢と、葛根田川本流のさわりをちょびっと登りました。

 私の東北の沢の印象1:温泉川!

 印象その2:アブがうようよ!

 印象その3:おー、これがブナか・・・。

 印象1は「さーすが東北!」と思わせるわけですが、沢登りの野営で露天風呂に入る光栄にあずかったときはブチ飛びました。

 印象2。これ、これは参りました。虫除けスプレーなんぞにはてんでひるまない奴らの襲撃を受けたとき、こいつら普段は何食って(刺して)んだろう、と疑うほど奴らの数はもの凄かったのです。(もひとつ感心したのは、奴らは日没とともに正確に姿を消してしまうことでした。だから安眠できてホッ)

 印象3。関東周辺の沢にだってあったはずですが、その当時はまだ樹木の種類など知らずに歩いてたので、この売れっ子樹木がどんな顔をしているのかも知らなかったのです。今はこの実を食べたいものだと願っています。(今年はブナの当り年ではないかとのウワサを聞きましたが、いかがなもんでしょうか)

(終わり)

ほんとの編集後記

N編集長さまと「会報は今手書きが面白い!」なんて喋ってたんですが、結局キカイ書きになってしまいました・・・。ただホームページへの会報掲載を考えると、やはり原稿をパソコンに入れる作業も必要なわけで。

 白神山地トレッキング、もうすぐですね。私は留守番です。みなさん行ってらっしゃーい!FK


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