会報木霊の駅

木霊”こだま”のお告げで発行
第 14 号
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What's SEED?
仙台市 斎 浩太郎

 僕たちは3人でSEEDというグループを数年前に作った。SEEDは「仙台環境行事企画設計」(SENDAI Environmental Events Design)というでたらめ英語の略だが、同時に種をまくという意味もあり、自然を育てる種を3人でまいていきたいという願いを込めて考えられた名前でもある。3人でやっているとは言っても、企画も、広報も、参加者への連絡も、ネイチャーコンタクトイベントの運営も、ようするにイベントに関わる全てのことが僕以外の2人によって進められているんだけど…。僕たちは、いわゆる観察会的なものをネイチャーコンタクトイベント(以下NCE)と呼んでいる。それは観察会というと何だか一方的に人間が動物をみるようなニュアンスがあり、いかにも人間だけが生態系からはみ出しているように感じられて嫌だと珍しく3人の意見が一致し付けられた名前だ。
 僕たちはNCEを毎月1回行っている。メインテーマは花鳥風月。季節毎の動植物との出会いを楽しみ、そんな空気を感じ合える仲間を増やしていこうというのが目標だ。場所は仙台森林管理所から借りている8ヘクタール程の国有林を中心に行っている。僕たちはそこで自由に活動させてもらえる代わりに、地拵えや下刈りなど森の手入れも行っているんだけど、3人で8ヘクタールってのは結構きついのよ、これが。(ご奇特な方お待ちしております)
その森を僕たちは「HANDS ON FOREST」と呼んでいる。日本語に訳すと、スラング的な言い方なので英国上流階級式英語しか習っていない僕にはうまく訳せないんだけど「ふれあいの森」とでもなるんだろうか。近くに湧き水があり、沢が流れ、滝があり、淵を覗くと小魚が群れ、様々な動物が棲息し、生態系を学ぶにはもってこいの場所なのだ。春は山菜を取ってその場で天婦羅にして食べ、初夏はモミジイチゴを食べながら林道を歩き、夏は沢で流しそうめんをやったり、滝つぼで泳いだり、秋は様々な木の実を収穫してパンに混ぜて焼いたり、冬はスキーで林道を歩き、疲れたら沢から汲んできた水でコーヒーを沸かして飲んだり、すっかり童心に帰って、参加してくださった方をほったらかしにして自分たちが楽しんでしまっている。あっ、遊んでばっかりでもないんだけど…。
 我ら3人とも当然ながら仕事があり、休日は家庭のこともやらなければならないので、他の会みたいに定期的に集まってお互いの情報を交換し合って造詣を深めていったり、今後のNCEについての計画を話し合ったりすればいいんだけど、そんなことはまるでやっていない。というのも僕は今新潟県の海と山に挟まれた小さな町にいるし、もう1人の隊員は環境アセスの仕事で1週間のうち5日間携帯電話の電波も届かないような山奥に入っていることが多く、たまに家に帰る週末は奥様とネコと熱帯魚の相手をし、洗車し、プラモデルを作り、恐竜の本を読まないといけないから日曜日に集まろうと言っても露骨に嫌がるし、隊長はといえば、チョコエッグのフィギュアやグリコのおまけ集めに凝っていて、わざわざ東京出張を作り、会議を途中ですっぽかし、海洋堂本社を覗きに行って買い込んでくるほどの熱の入れようだ(外見的にも内面的にもとても4?歳とは思えない。NCEで一番参加者が驚く事はめずらしい動植物との出会いではなく隊長の大人子供ぶりなのでした)。家にいるときはカエルや鳥の鳴声が録音されているCDを聞いているか樹木の本を読んでいることが多く、たまに電話をするとムッとした気配が伝わってくるのである。何か用事があったらEメールでよこせと言わんばかりの冷たいお二人なのでした。
 こんなメンバーだから大人の僕ちゃんとしては困っちゃうのである。前述の通りNCEは今まで自分たちが独学で培ってきたことをぶっつけ本番で、しかも子供の頃の遊びの延長の様な感じでやっているようなものだから、このままではSEEDはてんぷくトリオになってしまう。
 もしSEEDのぐうたらトリオのていたらくを見てみたいと思う方は、毎月1回NCEが行われているのでいつでも一声かけてください。NCEの参加者だけを求めているわけではありません。SEEDを正しき道へ導き、新境地へいざなうモーゼのような、そんな救世主が現れんことを僕は節に願わずにはいられないのでありました。
(K太郎)

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地球温暖化対策の盲点(その2)
〜のんべのための環境地質学講座〜
盛岡駅 川村晃寛
今年の夏は冷夏ですね。洪水も世界中のあちこちで起きています。これも地球温暖化に関わる異常気象のせいなのでしょうか? 地球規模の大気の循環は様々な要素が絡み合っているため、ある一部分だけを取り出してその原因を根元的に把握することはほぼ不可能です。しかし、判っていることも数多くあります。炭素サイクルのモデルも徐々に解明されてきました。前号から続きを…。

◎炭素サイクルと地球温暖化
大気中で二酸化炭素(CO2)となる炭素(C)は、地球上を様々な形で循環していることを前回述べた。このサイクルが狂ったため温暖化が起こったと言うことが出来る。


上図は産業革命以前の地球上の炭素の動きを概略で示したものである。大気圏などの各貯蔵圏(リザーバー)間で炭素のやりとりをしているが、以前は各リザーバー間で炭素の収支がプラマイゼロになっていた(ポイント7)ことがお分かりであろうか?
ところが、これに人間が関わると下図が新たに付加される(産業革命以後の構図で、数値は今現在の値)。



 両図を比べるとわずかではあるが、人間が炭素収支のバランスを崩していることが判る。大気圏に着目すると、化石燃料消費と森林破壊により、毎年3.6Gt/年もの炭素が、二酸化炭素として大気中で増え続けている(ポイント8)。その結果、280ppmで安定していたCO2濃度が現在、367ppm(1.7倍)まで高まっておりまた、年間1.6ppmの割合で今なお増え続けているのである(前回の会報から0.4ppmも増えている!)。なお、大気圏から放出される約2.2Gt/年の吸収源が良く分かっていない。「施肥効果」はCO2が増えたため植物の光合成が促進されるという実験室的効果であるが、地球上での効果は不明である。また、大戦後北半球で再生された森林が新たにCO2を固定している筈だが、その程度も不明である(これらは今後明らかにされていくであろう)。いずれにしても化石燃料消費と森林破壊が地球温暖化の2大立役者であり、その貢献度比率は3:1である(ポイント9)。

◎個人として出来ることとその効果は(その1)?
環境家計簿をご存知であろうか?家庭の電気やガスやゴミなどの消費を集計し、そのCO2排出量を換算して記録するというもので、温暖化対策や省エネ、ゴミの減量などの意識向上と実践を図るものである。これによると個人や家庭が直接間接に排出するCO2の総量や削減量が一目瞭然であるが、果たしてその削減量がどれほど温暖化防止に貢献しているのであろうか?また、「灯油はCO2を排出するので電化住宅が良い?」、「薪や炭の利用は森林資源を枯渇させるし、CO2の排出源になる?」等の疑問にも答えることが出来ない。そこで、エネルギーの利用の真相と効率について考えてみたい。
下図は0℃、1リットルの水を沸騰させるエネルギー(100kcal)別のコストと、その時のCO2排出量を示したものである(熱効率やロスを加味して独自に試算した)。
※薪はそれを集める労力をコストに換算した。
※電気は電熱器を使用した場合。それ以外は全て直接火力にて鍋を直火で温めた場合。


 電気がコスト、排出量とも突出している。この中で電気のみが直接燃焼の形を取らず、火力エネルギーや核エネルギーを電気エネルギーに変換し、さらに家庭でそれを熱エネルギーに変換しているので、効率が悪いのである。また電気は、元を正せば化石燃料(火力)によるものが50%、原子力35%、水力10%であり、それらの施設に使われるコンクリートも実はCO2を排出する化石資源なのである。こう書くと電気が一番の悪者になってしまうが、実は物事はそう単純でないのである。とりあえず以下の2点を強調しておきたい。
@電気は電熱器を使用した場合である。夜間電力やもっと効率の良い機器を使用した場合、CO2排出量、コスト共約70%程度になる(図のオール電化)。また、電力変換効率の向上は目覚ましいものがあり、かつ太陽光や地熱、風力等の代替エネルギーが発展してくればCO2排出量はもっと下がる可能性を秘めている。
A薪炭を燃やした時のCO2排出量は確かに多いが、消費した薪炭と同じ量の木を植えれば同じ分のCO2を吸収してくれる筈である(ポイント10)。
書きたい事がたくさん出てきたので結論先送りします。オール電化の高気密住宅や省エネ商品と、昔ながらの薪炭の生活は両立するのでしょうか...?

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南部弁と津軽弁
蟹田町 松尾 亨

 最近、小学生の息子に「お父さんの言葉変わっているね」と言われちょっとショック…でも俺けっこう訛ってるよなあー…しかしそれは、転勤しているうちに両地方の良いところが「合わさった」文化的言葉と自負しておきましょう。
 さて、植物の方言名も南部、津軽と微妙に違うものや、ほぼ同じものがあるのでいくつか紹介します。
方言名はその植物の、樹皮や実の味などの特徴をよく捉えて語源となっているものが多ようですが、「マダ、ヤス」など語源がアイヌ語からのようでよくわからないものもあります。ご存じの方は教えて下さい。
南部・津軽と、文化・言葉の違いがあるとは言っても殿様が仲違いしてから、せいぜい420年程の時間の中で、植物にとっては気候や土壌の違いによる棲み分けがあっても、藩境は意味ないジャン。植物の方言名は、遥か以前の石器・縄文時代をへて食料として、または生活用具として活用してきたご先祖様の知恵を受け継ぎ、伝えたいものですね。
          

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虫さんのおはなし         後藤 純子

「あなどれないアザミウマ」
 この不思議な名前は、昔の子供の遊びに由来します。アザミの花を摘んで、「馬出ろ、牛出ろ」と言いながら、花で手のひらを軽くポンポンと叩くと小さな虫が出てきます。体長1〜2mm、黄色や黒褐色の細長い体で、すばしこく動くこの虫がアザミウマの仲間です。
 こんなに小さな虫なので、普通の人はその存在すら気付きません。しかし、中には農作物にとって重要な害虫もいるので、アザミウマの名前は英語の「スリップス」という呼称とともに、農業関係者には比較的知られています。近年海外から日本に侵入してきたミカンキイロアザミウマなどは、殺虫剤に対する抵抗性を獲得し、防除効果の期待できる農薬は限られるうえに、花や野菜にウイルス病を媒介するという、なかなか厄介な害虫です。 このちっちゃな虫の観察には、8倍以上に拡大できる虫眼鏡が必要です。かわいそうですがアルコールに漬けて殺し、高倍率の実体顕微鏡で見ると、よりはっきり見ることができます。おさげみたいな触角につぶらな目、これで本当に飛ぶのかと見まごう繊細な羽はふさふさ、細身の体は八頭身で、ほれぼれするほどのナイスバディです。
 アザミウマそのものを見るのは比較的簡単です。アザミに限らず、クローバーでも野菊でも、家庭菜園のきゅうりやかぼちゃでも何でも、花を手のひらでポンポンすると、中からちょろちょろ出てくるのです。昔の子供達は、これで何匹の虫が出るか競い合って遊んだそうです。興味のある方はお試しあれ。
(画像 アザミウマのスケッチ)
森は尽きないエネルギー 十一

スペイン・サグラダファミリア教会
 スペイン、バルセロナに石で作られている教会、スペインの建築家ガウディー(1852〜1926)によって設計建築が始められ(1882)、彼の死後弟子達によって今も建築が進められている。完成にはまだ百年から二百年もかかるらしい。ガウディーもそれを知って作っていたのだ。まるで三百年で育つ森の苗木を植えているかのようだ。
 天空にそびえる巨大な樹木のような塔、十二の鐘塔からは鐘の音が流れ出る設計らしい。これはガウディーの石で作った森ではなかろうか。
 青森三内に復元した縄文やぐらの柱はクリの木、地下部も入れれば三十メートルにもなろうか。太さは一メートル近くもありそうだ。今そんな使えるクリなど無い。日本の巨木の森はほとんど人間によって切られ、現存するものは数少ない。大きな木の森を作るには何百年もかかる。時を待つしかない。大きな木を失ったことは時を失ったことでもある。 森という尽きないエネルギーを失った過去の文明は衰退、滅亡して行った。さて日本は歴史の教訓を生かし巨木の森を取り戻せるだろうか。百年の大計は人を植えるにありと言うがさて、それも植えたか切られたか。(中野 雅幸)

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「県民の森でホタルの観察会」
仙台市 忍頂寺(にんじょうじ)裕子

 「ホタルが飛んでいるよ」という連絡を受けたのが7日の夜。さっそく翌日の夕方、ウチワ、懐中電灯を手に持ち、首にタオルを巻き、長靴をはいて下見に出かけました。
生息地につくとたくさんのホタルが点滅しています。夜8時10分を過ぎたころから飛びたち、暗やみの奥の方から勢いよく飛び出してくる感じ。「うわー、すごい」「迫力あるー」という言葉ばかりが口をついて出ます。
 6月中旬からの長雨で陽ざしが少なく気温も高くなかったため、7月13日の観察会を控え、今年はいつ頃ホタルが飛ぶのかとても気がかりでした。7日、8日と暑い日が続き安心していたところ、9日、10日と大雨が降り、台風6号の影響で県民の森のあちらこちらで土砂くずれがおきました。ホタルが生息する傍らの湿地にも土砂が流れこみました。前日にまた、ホタルは大丈夫かしらと心配しながら下見に行くと、飛んでいたので安心しました。
 地域の人々と一緒にホタルを見に行く本番の日。夜7時20分に歩きはじめた時は薄明るかった周りも、森の中に入り木立の中を通る時はまっ暗で、みな注意深く歩きました。月明りが差し込む所は明るく、はっきり見えることに大人も子供もホッとした表情で、意外という感じ。(頭の中には夜は暗いという思い込みがあるからでしょうネ。月の光がこんなに明るいなんて、屋根のある部屋の内にいては実感できませんものね。)
 5歳の子から68歳の、今・子供から昔・子供だった人まで60名で片道40分森の中を歩いて、ホタルの輝きを見たときは、"スゴーイ"の声だけでした。
 右も左も草むらも木立ちの間も……。立ち止まってはながめ、また歩きを繰り返し、何十年ぶりのホタルだろうと感激する人、ウチワにのせる人、昔はカヤの中に放したんだと思い出を語る人、お父さんに見せるんだと手のひらに包む子。それぞれの胸に想い出を残してホタルの観察会を終えたのでした。
 去年も今年も参加者にはホタルに関することをまとめた資料を配布したのですが、それよりは実際に生きている本物のホタルを見たことの方が印象が大きかったようで、中学生たちが口々に「感動した」「スゴかった」と言ってくれたことで、地域のことを少しは感じてもらえたかな、何かを伝えることができたかなと思っています。
14.7. 24

☆宮城県「県民の森」
 仙台市泉区・宮城野区、富谷町、利府町にまたがる面積481haの森林公園。昭和44年、明治百年を記念してウィーンの森をモデルとし整備されました。忍頂寺さんとお仲間は9年前、自然観察ボランティアの養成を受けて県民の森「山歩会(さんぽかい)」を立ち上げ、現在忍頂寺さんが会長を務めておられます。
 「山歩会」では月2回、県民の森で観察会を開いており、4月カタクリ、7月ホタル、9月オリエンテーリング、11月リース作りなど、季節ごとのテーマを通じて森を見つめています。もちろん清掃奉仕も行います。
 忍頂寺さんのお宅から森までは徒歩5分(でしたよね?)。自分の地域の森、隣にある自然を慈しむ姿勢が、電話のむこうのお声から伝わってきました。(FK)

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仙台市 荻原富士子
「出逢いの不思議」
 2001年7月初旬のことでした。
 広々としたやさしい草原の峠の神岳をのんびり歩き下山して、340号、455号、7号、29号を北上して遠島山登山口の内間木洞の赤い鳥居近くに車泊しました。
 静かな真の暗闇に包まれた頃、源氏蛍の群がボワッ、ボワッと光りながら車の廻りを飛び始めたのです。思いがけないプレゼントに先ほどまでの恐ろしい暗闇はすっかり忘れて、ロマンチック気分で深い眠りに着くことができました。
 翌日、遠島山を満足感一杯に下山して来た時、小さなジープで森林パトロールの女性の方が「熊に出会いませんでしたか?」と声を掛けて下さったのです。
 爽やかなサッパリとした美しい方でした。「平庭山荘でお風呂入れますよ。お気を付けてお帰り下さい。」と走り去っていきました。
 短い出会いでしたがとても心に残る方でした。
 翌年の3月頃、マキ&フウの山コンビは夏山に向け、体力維持の為近くの権現森で訓練山行をしていた時、産経新聞の記者さんのお供で来たという森林管理局の藤原さんに声を掛けていただきました。
 その後、木とイヌワシの勉強で五葉山へ案内していただきました折に、山形村で出会った方のことを話しましたら「木霊の会の仲間の菊地さんという方だ」と教えていただきました。私の所属している勤労者山岳連盟の山歩会の7月会山行が安家森、平庭岳、遠島山で私が担当でした。そこで、厚かましくもさっそく菊地さんにFAXを入れお骨折りいただき、内間木洞のガイドさんを紹介していただいたり、許可証を申請していただいたり、又、中野さんに平庭岳の特別コースを案内していただいたり、すっかりお世話になり「木霊の駅」に入会したことに感謝、感激!!
 それにしても、出会いって不思議で素晴らしいものですね。まさに、「こだま」のようなアップテンポで展開した今回の出会いに♯♭♪人間って良いな♯♭♪!!を連発しています。
 菊地さん、藤原さん、中野さん、「木霊の駅」の皆様に感謝です。
(☆仙台から山コンビさんの山ある記を送っていただくことになりました。お楽しみに!FK)

「山形村と野田村がすごく面白いのは、その住人のせいなのか?という仮説について」
盛岡市 川村冬子
 かねてから私は野田村に中野事務局長をたずね、苫屋(とまや)に泊まってみたいと思っていた。
 今年3月、平庭スノーシュー・ハイクの折、「春の野草もいいでしょうね」という斎藤紀子さんの言葉に、5月の連休の山形村・野田村訪問を決めた。遠方の会員さんには申し訳ないが、マズ私らだけで行きましょか、ということに。
 5月5日平庭高原に集合したのは、八戸から斎藤さんとご友人、久慈の高山さんと葛巻さん、地元から橋上さんご一家と師匠・中野森林官。そして川村一家。スノーシューの時に登った富士見台に達し、そこから平庭岳頂上へ向かう。スミレとアズマイチゲが咲き、イチヤクソウは蕾。頂上近くではまだカタクリが盛りだった。
 野道で昼食の後、「山形木霊の会」が新たに切り開いた山道に入り込む。平庭岳の北面にあたる斜面には一面にコバイケイソウの緑が広がり、ニリンソウやサンカヨウが咲き乱れて秘密の花園のよう。熊になった気で歩く。
 師匠の職場、山形村森林事務所を見せていただく。野草の写真や魚捕りの網などがごっちゃりとある。ゆっくりしすぎて端神部落の水車まつりはもう店じまいをしてしまった。 野田村へ。今度は師匠のご自宅のログハウスを見に。いやー、毎晩ここで晩酌ですか。 海辺を通ったと思ったらまた山間部、苫屋に着く。村の文化財の古民家に、坂本充さん・久美子さんご夫妻がステレオでジャニス・ジョプリンをがんがんならしながら、我々の夕食を支度していて下さった。本物の囲炉裏を囲んで山菜のヌーベル・キュイジーヌをご馳走になる。その晩は深更までご夫婦とお喋りをした(心に残る夜でした)。
 翌朝、苫屋の対岸の斜面で、ウスバサイシンの葉裏にヒメギフチョウと思われる卵を発見。純子先生へ同定を依頼すべく写真撮影する。
 中野車に先導され、展望の名所・和佐羅比山へ。ブナやシラカバを見慣れた目には、この周辺のミズナラやウダイカンバの黒っぽい樹肌が珍しい。山頂からはどかーんと太平洋が見える。
 アイコを摘みつつ「アジアの館」へ戻り、泉田之也さんの陶房を訪ねる。個展の作品づくりに追われる毎日とのお話。登窯の裏には焼成に使う大量のマツ材が積んであった。
 東南アジアの民具などを見て、日形井を後に。野田駅前の磯ラーメンをすすり、岸壁を偵察する。今日の釣れ具合はイマイチらしい。ツアーの最後まで残った川村家も、ついに帰路に。師匠、2日間ずっぱりとありがとうございました。苫屋さん、また行きます。約束のハガキ、書きます。(終)

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新入会員紹介


千田 健哉(ちだ けんや)さん
岩手県森林組合連合会勤務
「現在県産材住宅の普及・あっせんの仕事に携わっています。また、山村経済・社会構造には学生時代から興味があります。
(社会に一言)微力ながら私のできる範囲で道筋はつけますので、できるだけ"山"の還元に役立つようなお金の使い方をしていただけたらありがたいです。」

編集後記

皆さんから〆切ばっちりに原稿を頂いたのに、またしても発行が遅れてしまいました、ごめんなさい。いつも謝ってばかりいるなあ。/岩手県で今年4月「いわて森林インストラクター会」が発足しました。学校週5日制や環境教育の導入により、インストラクターの需要が高まると思われます。会が、学校のみならず一般の方々への良き窓口になればと思います。/さて、会員の自己研鑽と親睦のため日夜できる範囲でがんばっとる我らが「木霊の駅」は、9月に総会を開くことにいたしました。今回は盛岡駅で仕切らせて頂くので、川村家地元の赤林山と、岩手・秋田県境の女神山トレッキングをあわせて行うことにしました。盛岡市と雫石町の境にある赤林山は奥羽山脈の前山(まえやま)ですが、市街地に接しているとは思えないほどの充実した野生を保持しています。なかでも知る人ぞ知る幹周囲6.3m(岩手自然ガイド協会設立準備会による)の巨大ブナの胴をさすりながら盛岡駅を遠望するってのは、ちょっと変わった体験となるでしょう。一方女神山は、奥深い和賀山塊にあり「美人ブナ」の産地として秘かに愛される山です。幾筋もの滝がマイナスイオンを放出し、森に水気をみなぎらせます。なお総会と宿泊に選んだのは盛岡市内で穴場のキャンプ場です。木霊の駅には名シェフが揃っておりますので、楽しい「ばんげ」となることでしょう。遠方の会員さんの"足"については参加状況を見て調整いたします。大勢のご参加をお待ちしております。FK

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