会報木霊の駅

木霊”こだま”のお告げで発行 第 11 号

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新入会員紹介

お告げの葉書3

ウルシの妙薬

ウルシと酒

殻つきカキの話

本州最東端のキャンプやいかに

カメムシの話

里山林の活用法

森は尽きないエネルギー

編集後記

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〜新入会員紹介〜
高橋 理(Masashi Takahashi)さん
昭和42年5月23日生まれ 
古川林業緑化(株)勤務
専門分野:
庭の設計及び施工、樹木の診断及び治療(樹木医)
社会に一言:
「樹木のウオッチャーとして、樹木の立場で声を上げて行きたいと思っています。」
お告げのハガキ その3
前号・花巻市 後藤純子さんのお便りへ
久慈市 橋上智さんからお返事

 木霊"こだま"の駅の皆さま
 初めまして、久慈市在住の橋上智と言います。
 私に与えられたお告げ、ウルシ、私にぴったりの謎題ありがとうございます。なぜなら私の腕は今ウルシかぶれの真最中です。
 ウルシかぶれの原因は、私の秋の年中行事マツタケ採りです。ところが、今年はどうした事でしょう。山のたたりか、木霊のお告げかマツタケがさっぱり顔を出してくれません。私だけ採れないのかとプロ達から聞いてもやっぱり今年はダメな様です。
 日に日に寒くなるのにふところまでヒジョーに寒い私はこの冬を越せるでしょうか・・・。責任者出て来いーーー!
 何んで今年はマツタケだけ不作なんでしょう。マイタケや天然シイタケはけっこう出たと思うけど、キノコや天候にくわしい先生教えて下さい。
 さて、漆職人はウルシにかぶれないか?
 答え、かぶれるそうです。
 お告げの答えを探しに、漆と言えば浄法寺町、と思い滴生舎(漆器の展示販売施設)のある浄安森林組合の小滝さんに尋ねました。個人差はあるものの、職人さんもやっぱりかぶれるそうです。ウルシの原液がついたところはかぶれるだけではなく、やけると言うそうですが、黒いシミが残ってとれないそうです。手に残る黒いシミの数が漆職人の勲章なんだと思います。漆職人の皆さんガンバレ〜。
 話はガラリと変わりますが、木霊"こだま"の駅のN事務局長と初めて会った時から、この顔どこかで見た様な気がすると思っていました。ようやく見つけました。かあちゃんから市内の古本屋を回ってもらってまでして。
 ご紹介します。世界征服を企む、超天才科学者Dr.マシリトです。(鳥山明 作「Drスランプ第6巻より)

 

Dr.スランプ第2巻より

<あいにく私の手元には第2巻クリントバージョンの絵しかなく、替わりに載せました
...ページ作成者中野>
 いつも何かを企んでいる人間でいたい、これが私の目標です。

次のご指名は岩手県久慈市の葛巻祐二さんです。
ハガキに質問への答えとお好きな話題、そして次の人のご指名を忘れずにお書きのうえ、編集人までお送りください。よろしくお願いいたします。

工藤会長寄稿 

ウルシについて

 例年になく早い初冠雪の便りがあり、雪国に住む私は長い冬の雪との戦いに思いをはせ憂鬱になりますが、雪の遅い年は雪が降るまで落ち着きません。別に雪を歓迎しているわけではないのですが。
 さて、前号に「うるしかぶれ」の記事が掲載されました。
 さぞ当人は苦しんだでしょう。私は小学生の頃(当時は洋服でなく着物でした)河原で焚き火をして暖をとりましたが、その焚き火の中にウルシの木が混ざっていたのでしょう、そのあと陰部が異常に痒く湿疹ができ大変苦しんだ記憶があります。
 その後40年程はウルシの木や葉っぱにさわっても、ウルシにかぶれることはなく、ウルシなんか怖くない、むしろウルシの液を塗ってウルシに強いことを自慢していたぐらいでしたが、ブナの稚樹の調査の時ウルシの中を素手で掻き回したら、その夜から痒くなり湿疹ができひどい思いをしました。
 うるしかぶれは免疫が出来るので、1回かかれば2回も3回もウルシにやられることはないと言いますが、体調が悪い時とか極度に疲れている時などは注意が必要だと思います。
 ついては、「うるしかぶれ」の記事を見つけましたので今後の参考に役立てられればと思い送付します。
工藤 悦郎

ウルシとマムシに弱い中野
の告白

ウルシに弱い私、中学の頃ツタウルシの葉を盃の酒に入れ親父の「ウルシと仲良くなればカブレない」を本気にし飲みました。あまりうまかったので、ついかくれてもう二杯飲んでしまい、顔中ウルシカブレになった経験があります。一杯なら効いたかも知れませんがお勧めしません。その後強くなったのは酒だけでした。


「うるしかぶれの妙薬 クリ」
 『倭訓栞』に「栗子を名くるは色の黒きをいふにや、又くりは黒実すなわちクロミの意にしてロミの反しは"り"なればすなわちクリと成る」と言っている。クリという日本名は、稜角からきたものではないらしい。
 日本では普通クリと仮名で書かないで栗と漢字で書いている。しかし栗と言われるクリは日本原産のものではなく、中国原産のシナグリにあてられた漢名である。日本に焼栗用として輸入し、北京栗と呼んでいるのがそれである。
 栗という漢名は『名医別録』に初めて見え、李時珍は『本草綱目』の釈名に「栗の字は、説文には と書いて −音は条(ジョウ)−に従い、花、実の下垂した状態を象(あらわ)してある。梵(ぼん)書には篤迦(とくか)と名づけてある」と言っている。これだけでは栗という字義がわからないかもしれないから、今少しくだいて説明する。
 栗という漢字は と木との合字である。古文では とあり、秦の時代にはじめられたという古文字の一つである。小篆(しょうてん)には とある。
 は草木の果実、 は木であるから、その字義は木に実がなっていることである。これが転じて栗すなわちクリとなったというのである。この字によく似ている粟(あわ)の下は米で、五穀の意をあらわしたのである。
 薬にする部分は葉であるが、われわれが食べる部分は胚(はい)である。栗のイガと呼んでいる部分は苞(ほう)の大きくなったもので、それが開くと中から一〜三の果実が出てくる。その果実の中の白色の部分で、煮たり焼いたりすると二つに割れる部分が胚である。渋皮は、モモやアンズの場合、食用になる果肉に相当する部分である。
薬  効
 うるしかぶれ、草負け、またはこれに類似した湿疹か蕁麻疹などの皮膚病には、栗の葉を濃く煎じて一日数回洗うか、または脱脂綿か布を、その煎汁に浸して湿布すれば、早ければ一時間前後、おそくても数日でかぶれはなおる。また風呂に入れて一日二回ぐらい入浴すれば、さらに効果がある。
 クリの葉はタンニンを含んでいるから、煎じる場合は鉄鍋はさけた方がよい。
栗の葉は生でも、かわいたものでもよい。

ク  リ (ブナ科)
@ 熱傷には、葉、渋皮、イガ、樹皮が効く。樹皮を剥がすと樹勢が衰えるから、イガ、渋皮を保存して利用するか、あるいは落葉を利用する。ただし、発酵した落ち葉は効かない。
A 接触皮膚炎(ハゼ負け、ウルシかぶれ、草まけ、露かぶれ、稲負け、白髪染めかぶれ、化粧品かぶれなど)に効く。一〜三パーセント水煎液を冷後に患部に湿布し、汗打粉をパフで軽くたたくように散布する。なお、治りかけてくると、かゆくなるが、絶対に掻いてはいけない。掻けばまた悪化する。とくに、不潔な手で掻かないことが早く治すコツである。
(出典:青森林友)
「殻付きカキの話」内田 明

 私は、カキフライが大好物だ。でも、東京育ちの私は、生のカキなんて食べたことがなかった。そんな私が山田町に来て、生食用の殻付きカキを東京に出荷する手伝いをするなんて、夢にも思わなかった。
 昭和五十二年の春、水産種苗センターの筏で仕事をしていたら、大沢の漁師が来た。
「内田さん、殻付きカキというのを知っているか。仲買人からつくってみないかと言われたんだ。」と言う。そこで、宮城県小乗浜の人たちがやっていたカキの殻頂吊りを教えた。
 まず、付着器(主にホタテ貝の殻、原盤と呼ぶ)に付いて二〜三年たち、十数個が塊になって大きく成長したカキを一個ずつにばらす。次に、殻頂部に穴をあけ、テグスを通してロープに吊す。なんだ、簡単だと言うわけで、カキ養殖業者みんなが小乗浜に見に行った。
 普通、海から揚げられたカキは、むき身にして加熱調理用として出荷される。生食用に仕立てるには、水槽で二十時間以上、殺菌海水で飼育しなければならないのだ。当時は、海水殺菌装置など誰も持っていない。流水式紫外線殺菌装置は高価で、気軽に買える代物ではなかった。
 そこで私は、耐水ベニヤ製の紫外線殺菌箱を考案した。それを大工さんが制作し、各養殖漁家が設備し、いよいよ大沢漁協における殻付きカキ出荷が始まった。
 そもそも殻付きカキは、フランスの食べ方をヒントに、三重県磯部町的矢湾の佐藤忠勇氏が日本で最初に始めたものだ。大沢漁協はそれを真似、さらに忠勇翁に頼み、二人の若者を的矢湾に研修に出した。忠勇翁は、大沢が商売がたきになるのを承知で、すべてを見せ、教えてくれた。
 やがて大沢の殻付きカキは東京市場を席巻し、その後始めた山田町内の他の漁協と共に、関東地方の大部分を山田産殻付きカキが占めるようになった。佐藤忠勇氏は的矢ブランドで、利幅の大きいホテルへの直販を貫いた。今はやりの産直方式の草分けと言える。
 昭和五十二年の大沢漁協の殻付きカキ出荷額が約一億円。二十余年が過ぎた今、山田町内5漁協の殻付きカキ出荷額は十四億円。町の養殖漁業の大黒柱に発展した。しかしその間、カキ洗浄機導入のほか、目立った技術革新もなく経過した。
 近年、各地でホタテ貝やワカメの養殖に見切りをつけ、殻付きカキ養殖に将来を託す競争相手が増えてきた。後発の人たちは、良いカキをつくって市場に食い込もうと熱心だ。山田の養殖業者も、初心に返って取り組まないと、山田産殻付きカキは早晩衰退するように感じられる。
 内湾で行われるカキ養殖にとって、生活廃水による漁場の汚染も脅威となる。
 石器時代から、人々は石ころで海岸の岩にくっついたカキを打ち壊して食べていた(に違いない)。カキには、グリコーゲン、タウリン、亜鉛など、健康に大切な栄養素が豊富に含まれている。今でも、いや、今だからこそ、カキは日本人にとって大切な食べ物なのだ。

山田町・内田明さんからお便り

「前略 中野氏に会報原稿を依頼されたので送ります。季節のもので、カキをとり上げました。よろしくお願いいたします。
9月8日のキャンプには参加してみたかったのですが、山田町で行われたグリーンツーリズムと重なり、参加できませんでした。海を会場としたもので、私が運営責任者だったもので…。来年度は5回くらい開催する予定ですので、早めに皆さまにご案内いたします。20人集まれば、特別に開催できるかも知れません。そうすれば、学習交流会にもできます。
会員の皆様によろしく。草々
2001.10.20    内田 明」

トドヶ崎 天気せいろうなれど波高し
〜秋の学習交流会in岩手県宮古市重茂(おもえ)半島

2001年9月8〜9日 記録:中野雅幸

9月8日宮古津軽石川のほとりで待ち合わせた勇者は8名、長旅の疲れ見せず十二神山へ。森林管理署情報どおり、人通り少ない歩道は迷い道のよう。しかし三陸に残る随一の原始林を登り後藤純子博士の虫講義に花が咲く。幻の巨木に「奥十二神のケヤキ」と勝手に名付け、本州最東端の港、姉吉(アネヨシ)に移動。
 数年ぶりのテント設営を無事に終え夕食。地元漁師さんの差し入れ、ハマチ、ホヤ、ホタテ・・・ゴウカな夕食に変わり、夜釣りを忘れる。
 翌9日朝方の雨も上がり、地元会員斎藤真琴さんと「森を考える会」三上女史、鈴木氏を加え、トドヶ崎灯台まで1時間30分、本州最東端にツワ者10名立つ。勇む中野荒れる海に三度竿を振るが大物は昼寝中か当たりなし。時間に追われ帰途へ。
 今回最高齢の沼口、坪両氏、常に先頭を歩き若さが目立つ。岳(タカシ、1歳4ヶ月)を背負い川村はケンメイに松茸を探す。タカシの笑顔にキャンプは常に明るい。料理長川村夫婦に助けられ山賊・海賊汁が三度、実に美味。沼口、坪のたくコゲメシがうまいため、ごはんが少なくなりマイッタ。
 初めて食ったタマゴタケの味に焼松茸の味がかすんだ。
 藤原駅長の講義を始め、講師陣の充実は会長の不参加の穴うめ充分。特別参加の川村氏同僚の岡崎さん、子守・炊事・雑用を自分からする。今どきの若いモンを見直した。
 そしてカゼ引き中野は漁師さん差し入れのショーチューに、蚊に食われるも知らず眠る。
(★十二神山天然キノコ汁に重茂名物ワカメを入れさらにソバをブチ込んでみました。うまかった。FK)

虫さんのおはなし
<虫の名前も差別用語!?>後藤純子

はじめに、本文中にいわゆる差別用語がありますが、内容上必要なのでそのまま載せますことをご了承下さい。

 最近、ある種のカメムシ類の和名(日本語での呼び名)が変わりました。多くの昆虫は、2個の大きな目(複眼)と小さな3個の目(単眼)を持っていますが、小型のカメムシ類には、単眼を持たない仲間がいます。この仲間のことを、日本では「メクラカメムシ類」と呼んでいました。
 この「メクラカメムシ」が、差別用語とされて問題になったのです。この仲間には農作物の害虫もいるのですが、専門家がこの虫に関する解説書を書いても、出版社からクレームをつけられる事態にまでなったのです。そのため、学会で検討した結果、「カスミカメムシ」と名前が変わりました。
 同様に、「季節になると目の前が見えないほど大発生した」ので「メクラアブ」と呼ばれたアブがいました。こちらもあらぬ誤解を受けるとして改名されましたが、厄介なことに2つの学会が別々の名前で呼び始めたので、かえって混乱しているようです。
 一方で、洞窟の暗闇で暮らしているため、目が退化している「メクラチビゴミムシ」という仲間もいます。こちらは一般の人には知られずに暮らし、専門家しか名前を言うこともないせいなのか、改名の動きはまだないようです。

 こういう問題が出てくると、私は子供のときに読んだ「トム=ソーヤーの冒険」や「宝島」を思い出します。あの物語の中では、海賊の一味「めくらのピュー」や「つんぼでおしの男」が登場しましたが、今では、日本語訳も変わっているのでしょうか。
 とはいえ、海賊やいたずらっ子のトムの仲間達が、「視覚障害者のピュー」とか「耳が不自由で言葉も言えない」などと上品に言うとは、とても想像つきませんが・・・。
(ちょっとテーマが重くなったかな?「だから何だ」と言われても何ですが、要はそこまでして特定の言葉を抹殺さえすれば、本当に差別がなくなるのか?ということです、はい。 後藤)

特別寄稿 <里山林を活用することは自然を保全することである 吉村 文彦>
こりゃー変だよ!緑豊かで貧しい生物相

 「緑が豊かね」、「自然が豊富なところである」と観光客が岩手を評価すると新聞やテレビで誇らしげに報道される。間違いなく日本で有数の緑豊かな県である。いや岩手県どころか日本全体の緑はかつてないほどの豊かさである。しかし、そこに棲む生物の数や種類はかつてないほどに貧しくなっている。私達の周りに普通にあったカタクリやアツモリソウなど、ホタルやチョウセンアカシジミなど、またオオタカやイヌワシやクマゲラなどの生息地が増えたという報道など一度も無いことを見ればそのことは明らかである。緑豊かな自然の中に本来棲んでいるはずの昆虫や鳥類や植物やきのこなどが絶滅したり生活を脅かされたりしている。どうしてこんなことが起こってしまったのか。本当のところは、よくわかっていない。しかし、日本の自然はかなり荒廃している。このことは事実である。
緑豊かな里山から姿を消す生物
 森林をその生成過程で分けると、原生的な森林、里山林と人工林の3つに区別できる。原生的森林は森林を維持する能力を生来的に内包している生態系である。里山林は、原生林に激しい人の働きかけの結果生み出された生態系である。人工林は植林で人が保育活動を施さねばならない生態系である。生態学者は、かつて学術的価値のある生態系は「原生林」であると思っていた。里山林は人為的攪乱の激しい生態系であるし人工林においては論外であったのである。最近、我々の身近な生物であるゲンゴロウやニホンイシガメなどの生活が水田やため池や川の中で完結せず、里山林とそれに隣接する水田や畑とその畦がなければ成立しないことがわかった。従って、里山という自然を、集落近辺の林縁から1〜1.5km内の畑や水田とその畦やため池・用水路などと林を含むゾーンと考えている(田端英雄編 1997 里山の自然 保育社)。環境省のレッドデータブックによれば、およそ5300種の高等植物の1/3が何らかの意味で絶滅に瀕しているという。その多くが里山の植物であることが最近分かってきた。植物に依存している動物、特に、以前どこにでもいた昆虫で絶滅危急種に指定されるものがでている。昆虫がいなくなることは、次に虫媒花植物が絶えることを意味する。多様な生物の生活する地球が望ましいとするなら里山という生態系はきわめて重要な空間である。この里山という自然が崩壊している。これを止めるには、今すぐに里山を保全せねばならない。(次号につづく)

吉村 文彦(よしむら ふみひこ)さん
1940年京都府生まれ。京都大学農学博士。
1990年に京都大学を退官、岩手県岩泉まつたけ研究所所長として着任。
今年3月岩泉での10年間の研究をまとめた「岩泉式まつたけ山のつくり方」を著述。
中野事務局長がまつたけ研究所を訪問した際、投稿をいただきました。

森は尽きないエネルギー 8
森のディザイン

 クマ、ムササビ、モモンガ、猿、日本鹿、クマゲラ、イヌワシなどは針葉樹の古い森と広葉樹林の隣接地にその巣が多い。それぞれ森には役割が有るから。
 松茸やホンシメジは比較的若い森に、ワシタカなどの食料、野ウサギや野ネズミなどは人工林の下がり箇所や草地に多い。ムササビ、クマゲラは古い木の幹に巣を作る。
 森は朽ちた木や大小の木、針葉樹、広葉樹、その適度な存在により生き物を支える。
 人にとって大きな木は三〜一〇倍のお金になり、雪を多く蓄え地下水を増やす。それは広葉樹に限らない。
 人間が森をディザインする時、他の生き物に学ぶことが必要だ。自然林を残すためには継続的に使う森、日本で言えば一千万ヘクタールに及ぶ人工林の活用をいかにディザインするかだ。               (中野 雅幸)

編集後記

マツタケ、今年はほんっとに全国的に不作だそうですね。/私は父が広島生まれの縁で子供の頃から殻付きカキ(もちろんお歳暮かなんかでもらったもの)を食べてたような気がするのですが、生食の歴史はそう古くないのですね。作家・半村良の「太陽の世界」という小説に、人間が初めて貝を食糧とした場面で「浜で採れる栗だからハマグリ」と名付けられるくだりがあります。捕まえやすくて食べやすい貝は、太古から優れたタンパク源。/重茂キャンプの翌日、十和田の坪さん、沼口さんからご丁寧な礼状を頂戴しました。こちらこそ楽しい2日間をありがとうございました!(FK)